2015年4月26帰京集合写真

2015年4月26帰京集合写真
22015年4月25日~26日山梨県にツアーに行きました。26日東京へ帰る前にまだ居残った皆で集合写真 photo by Arisan

2013年3月29日金曜日

すちゃらかんミトコンドリア《その2/宇佐見和夫 高杉康史に出逢う》

初めてやっちゃんにあった時の事から書かないといけないのだが、実はおぼえていない。歳は何故か憶えている。やっちゃんが高校2年生だった。わしは22才くらいだった、と思う。で、直接や
っちゃんに聞いてみた。「きっとあの時だと思う」と言って、かえってきたのが合唱団ひびきの
発表会。大手町かどこかでやった時、コンサートが終わった後にロビーでAJ子から私の妹のH
とその友達の高杉君てな感じだったらしい。そうおもうとそうだったような気がしてくる。人の
記憶ってのはこうしてつくられるのか。が、まあめでたくえらい若いやっちゃんと知り合ったので
あります。


この時かな?


その後どれだけ頻繁に会っていたかはわからないが、立石の「P]をみどちゃんが手伝っていた
時にあったり、まあその後じゅんちゃんがやっていた時は当然だと思うけど、また金町の「BB」
ではOFを紹介してもらったりした。バッタ村のコンサートにも来てもらった。その時最後に出た
バンドは本所高校の先輩のバンドで、やっちゃんが当時作った曲の「ショックだったぜ」はこの
バンドの影響だったかも。

金町では大淵には1回行った、その時はオレカンのうーすけさんもいたかも知れん豆もやしのお通しをえらいきにいっていた。大淵は安くてうまかった。やっちゃんじゅんちゃんは手伝っていた
TSちゃん目当ての部分もあったかもしれないか?{BB」には個人的のもよく行った。マスターは
別にジャズ喫茶もはじめた「38」という店だった、やっちゃんとじゅんちゃんとOFと4人で行ってみた。OFが「おれジャズなんて全然わかんないよ」と言った。わしはそんなんわかるわからないじゃなくて音を聞いて体に取り込んでそのまんま任せりゃいいんだよとか、実は言わなかったん
だけど、そんなこんなでいろいろしゃべっていたら白いブラウス黒いスカートを来たおねえさんが
突然現れてお客さま静かにしてください大きな声でしゃべらないでくださいと怒られた。その
お姉さんは後にのみ亭に現れるSAさんだった。世の中狭いよ。大淵の他ではてんぷら屋の
末広によくいった。安くてうまいこんなてんぷら屋が近所にあったらいいのにと行くたびに
思う店だった。

去年久しぶりに「末広」に行った




「末広」にて うと㋳


やっちゃんの高校の文化祭へ行った、すでにダーティミアカントリーバンドでマンドリンを弾いて
いた。この時の演奏を聞いたの記憶が何故ないかと考えていたのだが、今理由が判明したと
思う。寝坊して演奏時間に間に合わなかったんだと思う。その頃はとてもよく寝る健康なやつ
だったからわしは。でも、演奏には間に合わなくても行きました。で、あって見ると、実は2年生
にとてもいい子がいるんだけど、「エコールドパリの彼たち」と云う画集のようなスケッチブック
に色々描いたものを作った子なんだけど、と言ってTMちゃんを紹介された。ふ~ん、きっと
この子の事気にいったんだな。

     
    街灯の下で眼のキラキラした背の高い男の子と
    小さなかわいいおんなの子が夜空を見上げていました
    おんなの子が言いました「きれいな星ね」
    背の高い男の子はいいました「そうだね」

      
合唱団のメンバーにOBさんという女子がいて、青戸の団地に住んでいた。面倒見がいい人だった。やっちゃんの高校からは歩いて数分の所だった。皆で集まろうかというとそこの場所になる時があった。OBさんも良く飲む人で、ある夏の日、暑いのでご飯にジンの瓶に入れた冷たい水をかけて食べようとしたら、本物のジンの方の瓶を取り出してご飯にかけてしまい。食べてから分かったのだが勿体ないのでそのままジンかけご飯を食べた。結構いけたとのこと。そんなわけないですよね。やっちゃんとTMちゃんは学校帰りによくその部屋に行っていたらしい。たま
に遊びに行くと二人は良く来ていると言っていた。ある時は泊った事もあったらしい。
手を繋いで寝ていたといっていた。

やっちゃんが金町の実家を出て新小岩に部屋を借りたのは知らなかった。じゅんちゃんに連れて行ってもらったんじゃないかと思う。駅からちょっと離れていたが、便所台所共同だが台所は
広くて部屋も広かった。ここで私は芋焼酎の初体験をする事になった。ある日行ったら白波の
一升瓶があり横にやかんが置いてあり。皆普通に一升瓶からコップまたは湯呑に焼酎を入れ
その後やかんからお湯を入れてうまそうに飲んでいる。わしも真似して同じように作り飲んだ。
うう~っとちょっと込み上げてくるものがあったが我慢した、なんだこれは?焼酎といったら
宝焼酎位しか知らなかった。変な味だ。げっぷが出るとまた臭いが上がってくる。お~げっぷで
も楽しめるのか。他に酒は無いからこれを飲むしかない。我慢して少しずつ飲んだ。冷や汗を
かきながら。酒飲んで酔っ払う前からしんどかったのは生まれてこれが初めてだった。2回目
からはちょっと慣れた。この頃やっちゃんは自販機の設置のバイトをやっていて、自販機を置
けば一生食いっぱぐれないからと言われ、設置先のおばあちゃんがその自販機をきれいに
ふいている姿を見た話をして、そんなわけないのにさあ、と言いながらさびしそうな顔をして
いた。

実はこの頃、亀有界隈の仲間、大学の友達、合唱団の付き合い、バイト先の付き合いなどと色々あってなかなかやっちゃんやじゅんちゃんと飲む機会は少なかった。が、誘われたり時間があったりした時は突然たずねたりしていた。そのうち大学のS木やS水、Aぼなどは競馬のならび屋などで一緒になったりして彼らもやっちゃんやじゅんちゃんと知り合うようになった。S水はやっちゃんが新小岩に越してくる前にすでに新小岩に住んでいて、やっちゃんが越して来た時には西荻窪に越していた。場所はのみ亭の先の「おふくろ」の角を曲がったところの右側のアパートだった。彼は青戸のOBさんの部屋にも来た事があった。わしらみんな音楽を聴いて踊るのは不得意だった。そんな話しになった時にS水はそんなの簡単だよと、ストーンズのホンキートンクウイメンをかけながら「ほら、一歩進んで二歩下がる一歩進んで二歩下がる。これでいいんや」「ちょっとまて、それじゃ下がってばかりで壁にぶつかるよ」「その時は逆にするんよ。一歩さがって二歩進む。これでどうだ」そんなあほな事が楽しかった。

ダーティミアカントリーバンドを解散してからもじゅんちゃんとやっちゃんは一緒にやっていて、市川市民会館とか良く聴きにいった。新小岩仲間のもっちゃんとかなみちゃんも来ていて、また、鎌倉ブラザースなどの若い子とも一緒にやっていたので、皆でビールを飲みながらわいわいやっていた。立石の「P」では、ある時そのもっちゃんとなみちゃんも入って「なみ子とごはんです
よ」というバンドをやった事もあった。とても楽しいバンドだった。

ある時じゅんちゃんから「やっちゃん引っ越したんだけど一緒に遊びに行かないか」と誘われた。ところは西荻窪シネマアパートだった。二階の部屋で、窓は路地に向いているのだが、入口はバス通りの方でそこから入って二階へ上がりトイレの前を通ってから細い通路をずずーっと歩くと部屋に着いた。TMちゃんと一緒に住んでいた。窓からは趣のある飲み屋と中華屋と寿司屋、で界隈では有名なジャングル風呂のなんとか湯。早速ビールと焼酎で乾杯。午後の明るい日差しの中で飲んだような気がする。実はシネマアパートには2~3回しか行った事が無くて最初の時の明るい日差ししか憶えていない。やっちゃんは新小岩の時は自販機の設置とかやっていたが、この頃はもう型枠の解体をやっていたのか?四谷の鈴傳に呼ばれた時は解体をやっていたけど、わしは隣の信濃町でせっせとコピーをとっていた。

シネマアパートから吉祥寺よりの高架下の部屋に移ったと聞いて遊びに行った。じゅんちゃんと
やっちゃんで歌をうたって遊んでいた。この頃が一番二人でのりに乗っていた時のような気がするけど。ある時女の人が一緒になって唄ったりテープを取ったり酒を飲んだりしていた。Oさんだった。結構色々話す人でTMちゃんとは仲が良かった。また、ある時はフィドルの小嶋くんが来ていて酒を飲んで大きな声で楽しそうにしていた。ある日なんとなく遊びに行ってみると電気が付いていなくて、ろうそくをつけていた。どうしたのかと思ってTMちゃんに聞くと電気を止められたとのことだった。あらま、でもなんかろうそくの灯がゆらゆら揺れて遠い昔に帰ったみたいな気がしたものだった。

娘のA子ちゃんが生まれた時には神明通りを大分行った先を右にちょっと曲がったところのア
パートに移った。そこにも皆で遊びに行って。歌をうたったりゲームをしたり酒を飲んだり、翌日
は布団を干してごろごろしながら漫画を読んだりだべったり。正月に遊びに行った時は、やっち
ゃんが御雑煮を作ってくれて、わしはいままで食べた御雑煮のなかでやっちゃんの作った御雑
煮が一番すきで、自分がたべたいからという理由だけでのみ亭メニューにしたらと以前言った
事があるんだけど、やっちゃんはちょっと笑っただけだった。もう何十年も食べていないんだよな。
たまには食べたいんだけど。

それからやっちゃんはのみ亭をはじめた。やっちゃんは時々つぶやいているけれど、
のみ亭を小島君とやりたかったそうで早くに亡くなったのがやはり残念。今年は33回忌になる。
ープでじゅんちゃんとやっちゃんと小島君の演奏しているの(わしは勝手に小島メモリアルと
云う題名をつけているけど)を時々聴いている、とてもいい感じになってくる。
そんな風になりたいといつも思っているんだけど、力不足でなかなか難しい。

小島メモリアル テープ「Will the Circle be Unbroken
 - Country Drinkers]


御籠り堂こと白鳳荘時代については、「光玄脇毛事件」「ここじゃまずいよ事件」「やっちゃん
本当にごめんなさい事件」「僕と彼女の交換日記」他、いろいろあるのですがそれらは、またの
機会という事にします。なんとなくやっちゃんアパート変遷記風になってしまってすいません。

夏の夕暮れにのみ亭に行った。午後5時過ぎくらいでまだ外は明るかった。扉を開けると中は
薄暗くて、店の外の明るさとと店のなかの暗さのコントラストがとてもいい気分だった。
よく見ると奥のテーブルにやっちゃんのお父さんが座っていた。
「うーちゃん、どう?」
「あ、いやあ.....」
などと言いながら、お父さんが一杯飲まないうちに残りのビールを全部頂いてしまい
「やすし、ビール」
と、次のビールも注文してくれて、また注いでくれる。
誰かに似ているなあと思って考えたら笠智衆に似ている、と勝手に一人で考えていた。
注ぎ上手で何も言わなくても穏やかに泰然としている。
言葉はいらないよね。やっちゃん。

PS すいません、写真が少なくて。写真を入れておいた箱が行方不明になってしまいました。
お気付きの方は連絡ください。

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営業一課 すちゃらかうーたろう


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